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OECD邦人職員インタビュー:宮本香織 開発協力局シニア政策アナリスト

(聞き手:今井あい OECD日本政府代表部専門調査員)
インタビュ‐実施日/2011年11月28日

質問1. 途上国の開発に関心を持ったきっかけを教えてください。

 少し遡りますが、中学二年生の正月休みに家族でバハマを訪れた事がきっかけでした。


 バハマ自体はそれほど貧困国ではなかったのですが、ホテルに泊まっている観光客と物を売りに来る地元の子供達との貧富の差があったり、街にスラムがあったりしたことに罪悪感を感じ、世界の貧富の差を縮めるのは自分の義務ではないかと悟り、途上国の開発に携わろうと決めました。


 ただ、当時は同時に哲学を勉強しようとも決めていたので、「発展とは何か?」と、「人間の幸福とは何か?」という根本的な疑問をまず自分の中で解決してから途上国問題に当てはめ、いずれは国際機関で働きたいなと考えました。

質問2. 学生時代はどのような分野を専攻されましたか。

 大学の学部と最初の大学院は、哲学を専攻して、今でこそOECDで流行っている”well being”の観念を研究しました。特に大学院の時には、「貧しい人たちは幸福なのか?」という問題を追及するためにスーダンを訪れたりしました。


 つまり、地元NGOのインターンとして、難民キャンプを訪れ、現地の人々に「あなたは今、幸せですか?」と聞き回ったのです。


 その結果、結構みんな幸せだったのですよ。そこはイスラム教徒が多く、「神が何とかしてくれる」という他力本願もあり、物が無くてもそれなりに平穏な人たちが多かったのです。


 ただ、聞き回りをしている現場で、調査方法論を問われ、当時そのような体系だった手法は持ち合わせていなかったので、これは開発を正式に勉強しないといけないなと気付きました。


 取り敢えず哲学の修士論文は、国が発展しても、資本主義になればなるほど家族や宗教から離れて、疎外感(”alienation”)がもたらされる、というマルクスやフロムの説に関するものを書きました。


 その後、開発をきちんと勉強するために、ハーバード大学のケネディ・スクールに入学しました。

質問3. 大学院卒業後に就かれたお仕事を教えてください。

 ケネディ ・スクール卒業後、ケア・インターナショナルに就職し、児童及び妊婦の栄養補強事業担当としてスリランカに赴任しました。因みに今年の冬、20年ぶりに家族を連れてスリランカに行くのですが、当時と比較して当国が果たしてどのくらい発展したのか確認するのが目的です。


 そのスリランカで2年間勤務した後、タイに転勤し、約2年半主にタイ東北部のマイクロ・ファイナンス事業を担当しました。
その他、インド、フィリピン、バングラデッシュ、パキスタンで、ケア・アメリカの食糧援助事業を評価したり、カンボジア、ラオス、ベトナム、インドネシアで事業開発調査や南々協力事業を実施したり、タイを拠点にいろいろな業務に携わることもできました。


 その後、草の根事業に限界を感じ始めたので、世界銀行のアフリカ局に転職し、東アフリカの保健衛生と幼児教育の融資を担当するオペレーション・オフィサーになりました。


 具体的にはケニアのエイズ対策として医療品調達や全国配布、病院の修復、ウガンダの幼児教育事業開発などで、東アフリカへの出張は多かったですね。


 世銀には合計4年ほど勤務しました。

質問4. OECD事務局勤務のきっかけは何ですか?

 世銀アフリカ局では汚職や癒着が多くてとても疲れました。


 そこで、世銀での最後のポストだった「アフリカ能力構築」課での勤務を経て、今度は出資国である先進国側の援助政策の仕事をしたいと思うようになりました。


 それと、小学2年生の頃からフランス語を勉強していて、パリのOECDで仕事をするというのは夢でもありました。


 そこで、OECDの空席情報から、開発協力局の援助審査課の空席ポストを見つけ、自分にぴったりだと思ったので、応募しました。


 そこで偶然、スリランカ時代同時に赴任していた日本大使館員とずっと交友関係を維持していたのですが、その友人が丁度外務省でDAC(開発援助委員会)の担当をしていたので、いろいろと情報を頂き、それを基に面接準備を進めました。


 当時はミレニアム開発目標の基になった「DAC新開発戦略」が発表された少し後の頃でしたね。

質問5. OECDではどのような仕事を担当されてきましたか?

 1998年にOECDに入ってから最初の6年間、援助審査課でDAC加盟国の援助政策及び実績の審査を担当しました。


 対日本援助審査も二度担当しました。


 その後、約10ヶ月の産休期間を経て、2005年にジェンダー問題を約1年間調整し、それから6年間は局長室に所属して、DAC本会合の準備等多岐に渡る業務を担いました。


 そして、今年の4月に異動があり、現在はアフリカのインフラ投資と開発のための政策一貫性(PCD: Policy Coherence for Development)を担当しています。

質問6. 現在担当されているアフリカのインフラ投資とPCDは具体的にどのような案件ですか?

 まず、アフリカのインフラ投資は、投資委員会事務局との共同事業で、アフリカのインフラに民間投資を促進するというのがテーマです。


 この事業では大きく分けて二つ、投資環境改善をいかにして援助で支援できるかという事と、投資家が直接アフリカのインフラ投資に利用できる輸出信用、貿易保険、その他の金融商品にはどういうものがあるかを調べることが主な課題です。


 PCDは、援助政策以外の国内政策の内、途上国に悪影響を与えている政策はどういうものかということに着目しています。


 これは、「途上国のための国内政策の一貫性」という方が理解しやすいかもしれません。


 具体的には貿易障壁や農業補助金問題、途上国にも行われる贈収賄を先進国はどのように取り締まっているかという法整備及び実施問題、銀行が途上国の腐敗政治家などの不正資金をどう扱っているか等の資金監視問題等に焦点を当てています。


 ただ、PCDにおいて、DACは具体的にどう対応するかに関してはまだ結論が出ていないので、まず問題を充分に理解し、OECDのどの委員会、あるいは他の国際機関がどう取り扱っているかを把握するための情報整理を行っています。


 とりあえず、貿易、食糧安全保障、グリーン成長、財政資金、投資分野に集中していますが、これらの分野におけるインパクト評価の収集及び分析も始めました。

質問7. OECD事務局で担当されてきた案件で一番印象に残っていることは何ですか?

 援助審査が一番印象に残っていますね。


 援助審査は、各国の援助政策と実績状況を全般的にまとめて評価する大変な作業です。


 採用される時に、援助審査は修士論文を一つ仕上げることに匹敵すると言われたぐらいです。


 私は合計9ヵ国を担当し、各国それぞれ特徴があって大変興味深かったのですが、審査の与えるインパクトが大きい国とそうでない国はありました。


 日本は1999年と2003年に行いましたが、援助審査の結果をどちらかというと真摯に受け止めた方だったと思います。


 審査でとても印象良く残っている国はスペインです。


 当時、DACに加盟して間もなかったということもあるのですが、学ぶ姿勢が旺盛で、また市民団体が非常に博識で積極的だったので、心強かったです。


 一般的には、援助審査で厳しい指摘をすると、被審査国側は感情的になり、最終文書にまとめる交渉過程が難航する場合もありますが、それでもとてもやり甲斐のある仕事だったと思っています。

質問8. DACは他の開発分野を扱う国際機関と違って途上国にプレゼンスを持ちませんが、その点はどう感じられますか?

 DACは援助の実施機関ではないし、基本的には途上国支援に対するドナー側の政策を議論する場なので、政策やガイドラインの妥当性やインパクトは、加盟国の途上国現場でのプレゼンスを利用したり、他の国際機関と役割分業したりして対処できると思います。


 最近、DACの様々な会合に、発展途上国の人達を、ほぼ無差別に招待する風潮がありますが、その参加者達が途上国の何を代表しているか不明瞭な場合が多く、都合の良いところだけ途上国の声として切り取ったりすることが気になります。


 本気で途上国の声を反映することに取り組むなら、国連等正式に対等な場に持って行ってきちんと議論する必要がありますよね。


 だから、変に、DACはドナーの集まりでいてはいけないという罪悪感を感じる必要は全くないと思っています。


 ただ、中国、インド等のBRICSの国がもっと参加して貰える様工夫しなくてはなりません。

質問9. 途上国の現場と政策議論のギャップは感じますか?

 やはりギャップは感じますよ。例えば、援助のアンタイドの議論一つとっても、思想で「こうあるべき」と入ってしまうと、実は現場ではかえって問題が生じたりすることもありますからね。
もちろん、アンタイドは基本的には望ましいのですが、新興国の悪徳企業が破格な値で落札して事業を失敗に導いたりもしますので、充分注意しないといけません。


 それから、DACの統計データベースは莫大な情報量ですが、事務局や研究者が分析するには適していても、途上国の行政にとっては利用価値が低いのではないかと思います。 例えば途上国の財務省や各省庁が一番知りたいのは財政支援の展望ですよね。 ところが、DACの統計は過去のデータが中心ですし、しかも途上国の経常収支と関係がなく、例えば技術協力のための専門家経費がいくらだったか、というデータがあっても、途上国にとってはそれ程意味ないのではと思います。


 今後はもっと途上国が知りたいデータを収集整理することも必要でしょう。

質問10. OECDで勤務することの魅力は何ですか?

 ずっと国際的な業務に幅広く携わってきましたが、いろいろな先進国の人と一緒に仕事したり、友達になったりするのは自分に合っていると感じています。


 それに結局OECDは多分野において政策共有(”policy sharing”)を行う組織なので、どこの国がどういう政策をとっているかがわかるのは面白いですね。


 つまりここは開発分野以外に、経済、年金、移民、保健衛生、教育、税金、労働問題等、多国による多方面の政策に関する情報の宝庫なのです。おかげで世界状況が把握しやすいです。

質問11. 日本人がOECDで働くにあたって求められる資質は何だと思いますか?

 日本人は真面目だからこつこつ仕事をする、そこは認められると思います。


 ただ、それだけはなく、新しい事業を発案し、人とネットワークし、日本以外の国からも資金調達をして、より大きなものにつなげていく必要があると思います。 そういう創造性と積極性は大切ですよ。


 良い文書を書けば、必ずどこかで認められますが、文書などというのは毎日たくさん発行されるので、それをいかに売って次のものに発展させていくかを考えていかないといけません。


 例えば、「中国・DAC研究グループ」では、中国の貧困削減の経験をどの様にアフリカに還元できるか、というテーマで中国の研究機関とDAC加盟国とアフリカの国々が対話を行っていますが、当時の発案者達はほとんど何もないところから始めたのです。


 つまり、彼らは中国の研究者に話をし始め、小さなグループでネットワーク作りをし、中国からインターンも受け入れ、地道にインフォーマルなプロセスを積み重ねてきた訳です 。


 こうして少しずつ中国が良きドナーになる様、対話を深めているのです。


 日本人は、根回しが得意なので、こういうことは、やろうと思えばできることだと思います。

質問12. ご家庭との両立はいかがでしょうか?

 仕事と家庭の両立という面ではOECD勤務は恵まれていると思いますよ。


 第一に、お手伝いさんやベビーシッターを国外から連れて来られる様に、特別ビザを出してくれます。


 我が家のタイ人のベビーシッターは、私がタイに赴任していた時に家を管理してくれていた人で、当時からとても子供の扱いがうまくて、「私が将来子供を持ったらあなたをベビーシッターとして雇うから!」と誓い、10年経って約束を果たしました(笑)。


 それから、出産した場合、通常約3ヶ月の有給産休がもらえますが、私の場合、双子だったので、何故か10ヶ月間も有給で貰えました。少し長過ぎたので、夫に半分分けたかったのですが、北欧と違うので不可能でした。


 もちろん、仕事量に波があって、週末返上で仕事することもありますが、基本的に残業はしない主義なので、家族との時間はありますね。 あと住居は職場と子供達の学校に近い所を選んだので、夫(同じくOECD勤務)が毎朝歩いて子供達を学校に連れて行ってから出勤したり、私もこの前は授業参観に出たりしました。


 それから、フランスの基準に従った児童手当、国際公務員用の教育手当等、福利厚生は手厚く、これもとても恵まれていると感じます。

質問13. 最後に、国際機関で働くことを希望する若者へのメッセ-ジをお願いします。

 やはり、語学ができることは必須ですね。


 日本は小学校から英語教育を徹底すべきだと思っていますが、まだそういう体制が整っていないので、学生になってから、勉強だけでなく、自分で外国に行って会話せざるを得ない環境に身を置く等の対策が必要だと思います。


 英語の他、フランス語、スペイン語もできるといいですね。


 それから、OECDだけでなくどこの国際機関もそうですが、過当競争なので、生き残るのは大変だという覚悟は必要だと思います。
まさに動物王国の食うか食われるかの世界なので、戦う所は戦い、守るところはしっかり守る、そういうタフさが必要です。


 これもやはり、まず外国に行ってそういう環境にもまれることが必要かもしれませんね。


 特に最近不況になって戦々恐々としてきたので、一度OECDで仕事を得られたからといって、ずっといられると想定してはいけません。不思議の国のアリスの様に、休む暇なく走り続け、やっとその場にいられるという厳しさはあると思います。先程言った手厚い福利厚生は、走り続けているからこそ得られるものなのかもしれませんね。