安倍晋三元総理の御逝去を悼む
2022年7月
OECD日本政府代表部大使
岡村 善文

8日、突然の銃撃により、安倍晋三元内閣総理大臣が、逝去されました。
あまりに卑劣な蛮行により、安倍元総理の命と未来が一瞬にして失われたことに呆然とし、怒りと涙を禁じ得ません。安倍元総理は、明確なビジョンと行動力で日本を率いただけでなく、世界中の指導者と幅広く交流してこられました。約10年前、私がアフリカ部長のときにTICAD Vが開かれ、安倍総理は40ヵ国を超えるアフリカ首脳との会談を、各首脳個別に行われました。その後、アフリカを訪問しよう、と言い出され、一緒にアフリカ大陸を横断、各所で機知とユーモアに富んだ会談を行って、各国首脳を魅了しました。
本日と明日、わが代表部でも弔問を受けつけています。スロバキア大使が最先に訪れ、安倍元総理はスロバキアにも来てくれた、歴史上初の日本の総理の公式訪問だったので国民は皆安倍元総理を覚えている、と言いました。国の大小を問わずあらゆる国との交流を深め、首脳レベルのネットワークを築くという、多国間外交の核心の部分でも、安倍元総理は卓越した力を発揮した存在でした。
また、出張で不在のコーマン事務総長の名代として、武内事務次長が代表部を訪れ、お悔やみの御言葉を記して下さいました。武内次長からは、コーマン事務総長からの弔意と連帯の表明がありました。
安倍元総理は、OECDとの関係においても、多大なる御功績を残されました。
特に、安倍元総理の在任中の2014年、日本は1978年以来2度目となる閣僚理事会の議長国を務めました。安倍元総理は,同年5月の閣僚理事会に出席、リーマンショックと欧州債務危機をうけて経済の強靭化を模索する各国を前に、日本の震災復興の姿を示し、OECDを勇気づけました。安倍元総理が力強く推進した「アベノミクス」、すなわち、大胆な金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」からなる経済政策は、各国の閣僚や事務局から大きな賛同を受けました。
この閣僚理事会で、OECDの東南アジア地域への協力を深める「東南アジア地域プログラム(SEARP)」を立ち上げたのも安倍元総理です。SEARPは今も発展を続け、将来の東南アジア諸国の加盟も見据え、東南アジア諸国のOECDのルールやスタンダードへの参加や国内改革を促しています。
安倍元総理は、G20といった国際枠組みにおいても,OECDとの関わりを深化させました。国際課税の取組(税源浸食と利益移転(BEPS)プロジェクト)や「質の高いインフラ投資に関するG20原則」のフォローアップ、信頼性のある自由なデータ流通(DFFT)に関する協力は、その具体例です。
このような数々の足跡を振り返るとき、失われた存在がいかに大きいのかを痛切に感じざるを得ません。
「OECDには、公正な競争ルールを世界にあまねく広げていく使命がある。」
「世界はきっと変えられる。このラ・ミュエット城は、これからも、この確信を世界中に与えていってくれる場所であることでしょう。日本もまた、その中で大きなリーダーシップを発揮してまいります。」
これらの言葉は、2014年5月、OECD閣僚理事会において、安倍元総理御自身が基調演説の中で述べられたものです。今の混迷した世界情勢の中で、OECDが果たすべき役割を考えるとき、この安倍元総理の言葉は進むべき方向をすでに予言していたと感じます。私は、日本のOECD大使として、安倍元総理のOECDへの期待に応えるためのOECD外交を進めていかなければならない、と改めて心に誓います。
安倍元総理に心からの哀悼の意を表し、御冥福をお祈り申し上げます。

(写真)弔問記帳を行う武内OECD事務次長