OECD日本政府代表部職員の声:小澤良太書記官
OECDと福島復興について
OECD日本政府代表部一等書記官 小澤良太

OECDは,1,700名を超える専門家を抱える世界最大のシンク・タンクであり、経済・社会の幅広い分野において多岐にわたる活動を行っている国際機関です。OECD日本政府代表部は、日本政府の窓口として、OECDの活動を日本の国益につながるように、日々、関係各国や事務局と調整を行っております。その中で私は、貿易・デジタル・外国公務員贈賄・原子力等を担当しておりますが、私が日本政府代表部に赴任する前に、福島復興局や原子力災害現地対策本部で勤務していた経験から、OECDの専門機関である経済協力開発機構/原子力機関(OECD/NEA)における、福島の食品安全に関するシンポジウムを紹介したく思います。
1 NEAの活動
国際原子力機関(NEA)は福島第一原子力発電所事故直後から、福島の食品安全に関わってきました。その一環として本年3月、NEAは日本(経済産業省・農林水産省)と共催のもと、食品安全に関するシンポジウムを開催しました。シンポジウムでは、各国での食品安全に対する取り組みや、福島の現状が、官民様々な立場から紹介されました。また、シンポジウムの後には、福島の食品が振舞われるレセプションも開催されました。
本シンポジウムのNEA担当者のラゾ氏は「国際機関は色々な国の知見や経験が集まる場。是非とも活用してほしい」と話しています。「大事なことは、実際に見て食べること。現実の理解のためには、これが一番と思い、レセプションでは福島の食べ物やお酒を用意することにした」と語ります。
2 地元の方々の声
このレセプションで振る舞われた日本酒の広野・鶩(広野は福島県双葉郡の町)。生産者の新妻氏は、「2012年、鶩の生産を始めた当時、農業を再開する人は少なかった」と語ります。「福島というだけで避けたり、福島のことを忘れてしまったりする人がいるなかで、パリで実際にふるまわれているのは、現実を知ってもらういい機会で、ありがたいことだ」と語っています。
また、広野町役場の佐藤氏は、「震災後、町を残すために頑張ってきた、地道な活動こそ重要」と強調しています。また、同役場の新妻氏は、パリでふるまわれることで、海外にも目を向ける効果があったと語りました。
3 人の縁
パリでは意外な人の縁もあります。昨冬までOECD環境局でインターンを勤めていた、ニコラス・エバンス氏は2014年から17年に広野町にJETプログラムで派遣されていました。同氏に話を聞いたところ、「福島の本当を知ってほしい」と強調します。
同氏によると、JETプログラムの任地を決めるにあたり、福島を調べたが、「Fukushima」で検索すると危ないイメージが多数でてきたことをよく覚えているとのこと。しかし、「福島」で検索すると、歴史、文化、風土といった情報が手に入り広野への赴任を決めたそうです。そして実際に赴任してみて、素晴らしさを発見したとのこと。
「福島というと、反射的に危ないと話す人がいるが、このようなことを聞くたびに、広野の友人たちの顔が思い出されて悲しくなる。福島には素晴らしい歴史や文化、そしておいしい食べ物がある。こちらが福島の真実である」と同氏は語っています。
かつてJETプログラムで福島県広野町に勤めていたエバンス氏と
4 代表部の活動を通して思うこと
「自分が作った食べ物を喜んでくれる人がいるのか」。私が福島勤務時代に、福島の地元の方々から聞いた悩みです。福島の復興に向けた取り組みは着実に進展していますが、他方、未だに根強く残る風評が、復興に向けた地元の方々の気持ちを折ってしまい、復興に暗い影を落としていることを痛感していました。
そのような中、OECD/NEAという国際機関の活用を通して、現実の理解が進み、地元の方々にも評価して頂ける取り組みが進められるなら素晴らしいことだと思っています。また、パリという場所は、今回のエバンス氏のように、人の縁を結んでいくのにとっておきの場所だとも感じています。今回エバンス氏の「福島というと反射的に危ないということを聞くたびに、友人たちの顔を思い出して悲しくなる」という発言を聞いて、私も改めて、風評が誰を苦しめているのか、また、自分の仕事の重さを感じました。
OECD代表部の強みは、各職員が日本での経験もいかしつつ、OECD関係者と協力して、日本の方々に貢献する活動を行っていけることだと思っています。今回のシンポジウム等を通して、日本や福島のことを理解していただけるOECD関係者も数多くいることがわかりました。これからも、少しでも日本の方々に貢献できるように、日々、業務に励んでいければと思っております。