OECDは砕氷船
2021年3月
OECD日本政府代表部大使
岡村 善文

OECDはコロナ禍が大規模な広がりを見せ始めて以来、たくさんの分析や報告を出してきています。専用のHPを立ち上げて、それらを一般に公表しています。コロナ禍は感染症対策の話なのだから、世界保健機関(WHO)が扱う話なのではないか。いえいえ違います。WHOは医療や衛生面についての専門機関です。医学・衛生学の専門家たちの集まりであり、経済・社会学の専門家はあまりいないでしょう。コロナ禍は人間の病気であるとともに、経済・社会の病気でもありますから、そちらの診察と治療といえばOECDの出番になるのです。
このようにOECDは、世界の経済・社会に影響を及ぼすさまざまな課題を取り上げて、進んで対処していきます。もちろん各加盟国の関係省庁でも対応策を検討します。でも、迅速な動きがなかなかできないことがあります。どの役所が担当するべき話なのかが分からず、難渋している間にも事態が進みます。担当官庁が明確になっても、問題点を理解して処方箋を書ける専門家がいるとは限らない。そこにOECDが登場します。OECDはさまざまな専門家集団ですから、誰かが音頭を取って分析を始める。世界中のその筋の人たちとつながりがあるので、会議や研究会を開いて情報・意見交換をします。そして論点を整理し、注意すべき点を炙り出し、政策を提案する報告書を書き上げる。各加盟国は、OECDの報告書を参考にして、対策を進めることができます。
とりわけ課題の広がりが大きい場合、OECDの本領が発揮されます。さきほどのコロナの事態を例にとると、都市封鎖により経済成長や雇用はどうなるか、製造業・輸送・観光・石油需要にどう影響するか、財政出動により国の債務負担は大丈夫か、といった経済分野はもちろんですが、コロナの影響はそれにとどまりません。社会格差、教育、若者・女性、気候変動、国境間移動、移民など、幅広い分野に及ぶでしょう。OECDはそれらについても、取り組みを進めています。OECDの分析や報告は、保健・医療や経済・財政といったコロナ対策に直接かかわる省庁だけでなく、それ以外の省庁にも考えていかなければならない問題が出てきていると伝えます。
さらに、OECDが動いてこそ検討が進む分野があります。現代社会はもの凄い勢いで進化しています。それに応じて、今まで予想もしなかった事態が生じ、取り組むべき新しい課題が次々に現れます。各国政府はそれらを必ずしも追いきれません。また課題の解決には、国を越えた協力が必要な場合が多々あります。インターネットが発達し、最先端技術がどんどん出てきて、大きな可能性が広がってきています。でも、これがいったいどういう未来を導くのか不安もありますし、現実の課題が出てきます。先の稿で挙げたデジタル課税はその典型です。
人工知能(AI)もその一つでしょう。機械が人の代わりに考えて働いてくれる。鉄腕アトムで描かれた夢が実現する話ですよね。けれど心配もあります。AIが人の行っている仕事を、人以上に大量・迅速・確実に処理する。ということはつまり、人が要らなくなる。また、AIの力が社会を支配するかもしれない。雇用、格差、競争、人権といったさまざまな面から、社会に影響を与えかねない技術なのです。そこでOECDが先乗りして検討を始めました。そして、2019年にAIの関係者が共有すべき価値観や加盟国等が取り組むべき政策を明確にした勧告を出しました。これは同年、G20の閣僚会議で定められた「AI原則」の土台となり、この原則は首脳会議(大阪サミット)宣言に添付されました。 この勧告を検討したデジタル経済政策委員会は、総務省の飯田陽一氏がその議長を務めており、日本が検討を主導しています。
ブロックチェーンという新技術を使って、ビットコインをはじめとする暗号資産の利用が広まりつつあります。取引の決済や貯蓄のための手段が、新しく生まれようとしています。様々なサービスを提供する新たなプレイヤーが参入し、これまでの規制や政策が効かなくなります。インターネットの世界に隠れてしまうので、不法取引の決済に使われる恐れもあります。そこでOECDでは、ブロックチェーン技術がもたらす機会と危険性について、検討を始めています。
こうしたデジタル技術の登場は、これまでの政府の規制のあり方に抜本的な見直しを迫ります。デジタル技術を活用する企業が、どういうルールに従うべきか、そのルールを監督・執行するにはどういう体制を必要とするか。従来の法制度では想定していなかった社会が現れつつある。その中で、OECDには最先端のテーマに積極果敢に取り組んでいく役割が期待されています。OECDなら前人未踏の分野に率先して切り込んで行き、加盟国の政策に先鞭を付けることができます。まるで後続の船のために、氷の海を舳先でばりばり割りながら進む、砕氷船のようです。そして、OECDが働くことで、航路が新たに開かれていくことになります。