OECDはタイトル防衛戦
2021年5月
OECD日本政府代表部大使
岡村 善文

経済先進国が加盟しているOECDは、世界に向けての経済政策の策定と発信を担ってきました。毎年サミットが開催されるG7やG20といった枠組みから、OECDが強みを持つ分野で政策の取り纏めを引き受けるなど、大きな役割を果たしてきています。また、OECDの設立目的の三番目に挙げられる貿易促進の分野では、WTO(世界貿易機関)で閣僚会議が開催され交渉が行われるのに先立って、OECD閣僚理事会の機会を通じて先進国側の立場を調整してきていました。
その力の源泉は、何といってもOECD諸国の経済です。先進産業国が集まっているので、その経済規模は世界に大きな存在感を示してきました。2000年には、OECD加盟国の国内総生産(名目GⅮP)の総和は、世界の約8割を占めていました。それらの先進諸国が一致して、経済や貿易のルールをOECDで形成し、それを世界に普及する。OECDは、長い間自由・市場主義世界の経済運営において主要な役割を担ってきました。
ところが2000年代に入り、OECDはこの地位に安閑としていられなくなってきています。グローバル化が進展し、世界経済が一体となって発展しはじめ、OECD加盟国以外の国々や経済圏が徐々に台頭してきました。中国、インド、ブラジルといった諸国や東南アジア地域が産業発展を遂げ、先進国と国際分業の鎖(global value chains)でつながり、世界経済の運営に組み込まれてきています。その間、OECD加盟国のGDP(名目)が世界に占める率は、今世紀初めの約8割から20年を経て、今は約6割に下がりました(2019年)。人口でみるとOECD加盟国は世界の2割に及びません。今後、OECD加盟国が低成長にとどまり、一方で非OECD諸国の経済が順調に伸びれば、その経済規模の逆転は時間の問題です。
そうなると、果たしてOECDが世界経済の運営の主導権を握り続けられるだろうか。OECDが作り上げてきた枠組みや、OECD加盟国が決めて守ってきたルールや基準(standards)は、公正な競争の維持、品質・基準の順守、労働条件や人々の福利の確保、環境保護から人権の擁護に至るまで、さまざまな観点からの厳しい制約を含みます。非OECD諸国の政府や企業がこうしたルールや基準を守らないならば、経済活動の上から断然有利になります。OECDのルールが及ばない政策や企業活動が世界中に広がると、OECDが追求してきた目標が損なわれることになりかねません。
とりわけ中国の躍進は、OECDに新たな課題を投げかけています。中国は2010年以来経済規模で世界第2位の国となっているだけでなく、世界の生産工場として製造と流通の過程に深く結びついています。貿易の輸出額についてみれば、米国を抜いて世界第1位です。しかしその中国は、共産党の一党統治のもとで国家管理の経済体制にあり、OECDの政策や価値観とはかなり相容れない部分がある国です。
たとえば国家が特定の企業に差別的に補助金を出したり、輸出・海外投資にお得な条件で融資したりすると、企業の間での競争を不公正にします。利便を得た企業は、他の各国の企業に比べて、より低い価格で製品を製造・輸出できるようになるし、資金繰りがより容易になるからです。OECDでは、国による過度な企業への支援を、公正な市場を歪曲するものとして厳しく制限してきました。輸出信用には紳士協定を作って、各国とも規範を守るようにしています。ところが中国は国内企業に多大な補助金を出しますし、そもそも企業が特別な待遇を受ける国営であったりします。OECD加盟国ではないので、紳士協定には参画していません。OECDは(さらにWTOでは)「公平な競争条件(level playing field)」を中国に働きかけていますが、中国はそうした規範を守ることに消極的です。
中国は、自分はまだ開発途上国だと言っている一方で、他の途上国に対して開発援助を始めています。開発援助は何であれ良いというものではありません。自国の国益や利益のみを目的とするものではいけないし、現地経済・社会や地元の人々の生活・福利を損なうようなものとなってもいけない。OECD諸国はより適切かつ効果的に途上国に裨益する開発援助の実施のため、開発援助委員会で緊密な協議を重ねて、援助政策のあり方や政府開発援助(ODA)として認められる条件などを細かく決めています。しかし、OECD加盟国でない中国が援助活動や資金供与を進めるにあたり、これらの条件には拘束されません。
もっと心配があります。OECD加盟国が唱道する「ルールに基づく秩序」に合致しない中国の行動が見られていることです。3月18日、アンカレジで行われた米中会談で、楊潔篪・共産党中央政治局委員は「中国が支持しているのは(一部の国々が提唱する)いわゆる『ルールに基づく国際秩序』ではない」と明言しています(米国政府の発表)。ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について、菅総理とバイデン大統領は4月16日に行われた日米首脳会談において共同声明を出し、懸念を共有しました。さらには、中国が国際経済の実体面で影響力を行使するさらなる基礎を構築し続けていることにも、注意が必要です。デジタル技術において、中国は先進国というより最先端になりつつある。中国規格のデジタル製品は低価格・高品質で、世界の市場を席巻しうる。巨大な国内市場でのデータ蓄積を通じて、人工知能(AI)技術を着々と築いています。各地の港や鉄道など、世界の主要輸送路を中国が抑えれば、輸送規格が中国方式に変わることにもつながりかねません。
OECDは、その質の高いルールや基準をグローバルに普及するため、2007年からは特に新興経済のブラジル、中国、インド、インドネシア、南アの5か国との関係強化を図り、これらの国々はOECDの「キーパートナー」と位置付けています。また、東南アジア諸国連合(ASEAN)など他の非OECD諸国への関与も促進し、OECDの対外関係について対外関係委員会で検討しています。
一方で、OECDが今後も世界に向けての経済政策の策定と発信を担っていけるかどうかの岐路に立っていることも現実です。OECDが王座のチャンピオンベルトを保持し続けるためには,タイトル防衛戦を勝ち抜いていかなければならない。OECDが築き上げてきた国際経済のルールは世界経済の発展の基礎である、だからそれらを守ることは新興経済諸国にとっても利益があるのだと、OECDとして不断の努力によって示していかなければなりません。